シャボン玉の神様
博士の研究はついに完成を迎えた。その研究はただ純粋に透き通った玉のような夢から生まれたのだった。
博士は子供の頃からずっとシャボン玉に入るという夢を持っていたのだ。そしてそのまま空へと浮かび上がりたかった。夢に必要なのは絶対に割れないシャボン玉。
天才は子供のような無邪気な好奇心を持っているというが、博士はまさにそれである。博士は天才だったが誰もがそんな意味のない研究を手伝おうとはしなかった。ただ一人の助手がついてただけである。そして彼もまた、天才であった。
神のような二人の天才が集まることで、博士の夢は長年の研究のすえ実現したのだった。
割れないシャボン玉の原理はこうだ。シャボン玉の表面から中心までの球の間の時間粒子を操作し、シャボン玉が作られた瞬間で時間粒子の速度を限りなく零に近づけるのだ。時間粒子とは時間の流れを作っている粒子であり、それは通常一定の速度で流れているものである。
……難しい原理はさておき簡潔にいうと、シャボン玉を作られた瞬間から半永久的に時を止めて割れる時間さえ無くしてしまうということなのだ。
博士と助手は研究の結果を試そうとしていた。そう、博士の夢を叶えようとしていた。
「君がいてくれたおかげで、私の夢は今まさに叶おうとしている。本当にありがとう」
博士は今までの苦労を思い出し呟いた。
「何をおっしゃいます。博士のがんばりでこの研究は完成したんですよ。さぁ実験してみましょう」
助手は心の内側では博士の夢など、どうでもいいことと思っていたのだった。
しかし、その研究内容には非常に興味があったのだ。そう、奪いたいくらいの興味が。
助手は機械のスイッチを入れる。おおんおおん、と機械はうなり声をあげ始める。
半永久的に割れないシャボン玉を作る機械の割にはどこか小さいもので大きさはダンボール箱ほどしかない。
「あ……。ついに長年の夢が叶おうとしている」
助手はスイッチを操作し、準備をした。
「博士準備が完了しました。いきますよ」
助手は最後のレバーを倒そうとした。博士はそのときある疑問が浮かんだ。
「頼む。……ふと思ったんだが、シャボン玉の時を止めたら中にいる私はどうなってしまうんだ?」
助手は笑いながら答える。しかしその笑みは端をぎゅうっと吊り上げたものだった。
まるでお前はここで死ぬのだ、といってるようなそんなものだった。
「もちろん博士も止まりますよ……!!」
レバーは勢いよく倒される。その瞬間、博士はシャボン玉に閉じ込められた。
シャボン玉の内側にうつる表情は夢を叶えれた喜び、助手の裏切りへの驚き、様々な表情が混沌と存在しており、どこか神聖な感じがした。まるで神のような、そんな表情を浮かべていた。
「あなたは神のように天才だったが、発想がばかげていたよ。私がこの研究を大いに役立ててあげよう」
助手は博士の入ったシャボン玉を空へと思い切り蹴り上げた。
これだと博士の死体の処理は困らない。空へ飛んだものは見つけようもないだろう。
今ここに博士の夢は叶った。
博士を乗せたシャボン玉はどこまでも上昇していき、ついに何もない虚空へと飛び出した。
その速度は落ちることなく、その恒星系の外へ外へ向かっていく。
それは長い旅だった。一億回冬が来て一億回夏がきて、それでいておつりが少ししか出ないようなそんな長い旅だった。
その惑星には人類のような生物が住んでいた。外見も文化もほとんど一緒でありいわばもう一つの地球ともいえる。ただし文明レベルが低く地球でいう中世の時代そのままでだった。
そこでは二つのエイ国とシー国があった。それらは互いに憎みあい、殺し合い、歴史まで
人類と似ていた。
その日は澄み切った空が存在していた。地には濁った争いが存在していた。
エイ国は今やシー国に圧倒的な戦力の差があった。国が滅びるのも時間の問題だった。
この日の戦争はもう負けられない。そういう意気込みであった。だがしかし戦力差は気持ちではうめられない。もはや陣形はがたがたであった。
敵の弓矢隊が構える。
生き残った部隊に容赦なく弓矢を構える。そして撃つ。
弓矢独特の風切り音が鳴り響く。
そのときだった。
上空から一つの球体が舞い降りる。その球体は残存部隊のちょうど前に立ちふさがるように落ちてきた。
発射された弓矢はその玉にすべて跳ね返される。ありえない光景だった。
もう一度撃つ。
跳ね返される。
時間が半永久的に止まっているため通常時間に存在する矢は当たらないということなど
彼らは知るはずもない。
混乱した敵部隊は退き始め、残された部隊は立ち尽くすのみだった。
その玉の中には彼らに似ているが彼らではない者がいた。しかし彼らはそれを見て同じ思い
だった。
――神だ。
口々に呟き、そしてひれ伏した。
絶対的な盾と信仰対象を手に入れたエイ国は強く、あっという間に情勢は逆転した。
この星を併合したエイ国はこの先何十代も続く長い王朝となった。
その間それはずっと神の玉として崇められた。
博士が旅立ってから数年あと地球では大規模な戦争が起こっていた。
はじまりはささいなことだっただろう。ささいなことの連鎖が大きくなり地球全体を包み
込んでしまったのだ。
経済的な封鎖ではじまった争い。そして苦しくなった大国は核を発射した。
他の国もその報復で次々に発射し、地球は死の大地と化そうとしてた。
地球が太陽のように輝いた。それは何億もの命の輝きにも等しい明るさであった。
半永久とも思える時間が過ぎたある日のエイ国。
神の玉に異変が起こった。なんだか割れてしまいそうな、そんなイメージを受けた。
王国内は神がついに我々の前に現れると思い、盛大な宴の準備をした。
その玉は今にも割れてしまいそうなシャボン玉のようになり、そしてまもなくはじけた。
博士は意識を取り戻した。博士にとっては一瞬だが周りの世界は変わりきってしまっていた。目の前には王国内の人という人が集まっている。
「ここは……?」
そう博士が呟くと目の前の人たちはまるで風にさらされる稲穂のようにひざまづいた。
博士の言葉はもちろん通じなかったが、それをどうやら神の言葉と思ったらしい。
博士がこの状況を理解するまでに少し時間がかかった。ここが地球でないどこかという
ことも知った。しかし、この星の環境は博士にとって悪くはないということも知った。
博士は球を出てからはさらに人々に崇められることになったのである。
この星の言葉を理解した博士は知っている知識を教える伝道師となったのだ。博士はもう争いの起こらないように、環境が悪化しないように、地球とは違った歴史にしようと考えていた。
ここに理想郷を作ることに決めたのだ。地球などに帰らなくてもいい。自分というリーダーがいればこの星の人々は地球と違って間違った発展はしないだろうと思った。
数年が経過したある日のこと、この星の空からまた玉が舞い降りてきた。
「あ、神様。また玉が降りて参ったのですよ」
エイ国の王は博士に言う。
「ほぅ。持ってきてくれないか」
王はそばの兵士にその玉を持ってくるよう命令した。
「もう割れそうらしいんです。今度は何か道具のようなものが入ってるようなんです」
博士は地球のものが久しぶりに見れると思い楽しみだった。
そこに兵士が球を台車に乗せてやって来た。
博士と王の前に台車が来た瞬間、その球ははじけ、中にあるものが見えた。
その塊は細長くとても重いものだった。どこかで見たことのあるものだな、と博士は思い出そうとしていた。
その機械からはある一定のリズムがしていた。カチカチ何かを数えているようだった。
博士はそのものの名前を思い出した。
カチカチというリズムは一定だがその音からは零に近づくという感じがした。
その瞬間、それは炸裂した。
――核爆弾か。
国は輝きに包まれた。星は輝きに包まれた。
宇宙から見たその星はまるでシャボン玉のように、ぱあんっとはじけた音がした。
遠い昔地球という星が太陽のように輝いたことがあった。
しかし、ただ一箇所だけ輝いてない場所があった。かつて博士の住んでいた国。
博士の意味のない研究がこの国だけを救ったのである。
そう、核が炸裂する瞬間割れないシャボン玉で包みこんだのだった。そして大空へと
捨てた。
それをやってのけた助手は英雄となった。
そして、地球はその国から復興をはじめた。
助手はその先頭にたって人々を導いた。助手はもう争いの起こらないように、環境が悪化しないように、ここから新たな歴史を作っていこうと考えていた。
長い長い時間が過ぎ、地球は文字通り理想の星となった。
ある家の庭で、少年がシャボン玉を吹いていた。
シャボン玉はすぐ割れる。
ぱあんっとはじけるような音がする。
「ああ、シャボン玉に入って空を自由に飛んでみたいな」
と少年は思った。そしてシャボン玉をもう一度吹いた。
シャボン玉はまたすぐ割れる。
ぱあんっとはじけるような音がする。
だがそれは、どこか遠い宇宙で割れたような、そんな音だった。
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