哀々傘
「明日は雨でしょう」
 閑散とした校内に私の放送が響く。放送室の電源を落とし、私は学校を後にする。
 放送部に所属している私の役割は放課後に天気予報をすること。私は内気で、放課後遊ぶような友達も少ない。今日も隣の席の子が帰りに遊びに行く約束をしていた。
「楽しそうだったな」
 私はため息をつく。空には雲がかかり、私の心を投影し始める。

「やっぱり」
 予報通りの雨。なぜだか私が悲しい時は雨が降り、嬉しい時は晴れになる。まるで小説の主人公のようだ。だから私の予報は世界で一番当たる。私は黒い傘をさし、学校へ向かう。
 放課後、いつものように美術室を横切って放送室へ向かう。それが最短ルートなのだ。
「久しぶり」
 開けっ放しの美術室から声がする。見ると去年クラスメートだった雪がいた。美術部の雪は私の数少ない友達と呼べる存在だ。
「ちょっと入りなよ」
 雪に引っ張られる。私は雪の強引さに懐かしさを覚える。部屋に入ると私の目は一つの絵に釘付けになる。
「綺麗――」
 海がひっくりかえったような青色。とても好きな色だ。それは私を優しく包み込む。雪は私の沈んだ顔を見て言う。
「あなたの心はいつ晴れるのかしら?」
 言葉が心に響く。そのとき後ろから声が聞こえる。
「友達?」
 私は振り返る。そこにいたのは一人の男の子。先ほどの絵のように私は一瞬で惹かれた。
「彼がこの絵を描いたのよ」
 彼は小さく笑う。私は彼の表情に鼓動が早くなる。
「じゃあ放送しないといけないから」
 私は焦って駆け出す。今朝の憂鬱な気分は消えている。

「明日は晴れでしょう」
 放送を終え、下駄箱で靴を履き替える。雨はもう止んでいる。すると、後ろから声がした。
「君があの天気予報をしてるんだってね」
 振り返ると、そこに彼がいた。私は驚きながらも小さく頷く。
「雪に聞いたんだ。実はいつも楽しみに聞いていたんだ」
「ありがと」
 顔が赤くなり、温泉みたいに湯気が出そうだった。持っている黒い傘で隠したい。
「何でいつも当たるのか不思議だ」
 私は小さく笑う。
「また絵を見に来てね」
 私は頷く。いつもより素直に。そして彼と校門まで歩く。学校を出ると私は右に、彼は左へと帰る。お互い手を振って別れた。私は思わず空に微笑む。

 その日から雪に会うという口実のもと、美術室に行くことが多くなった。帰り道、彼と校門まで歩いたりもした。校門までの距離がもっと長くなればいいと願う。最初は緊張していたが、少しずつ素直な自分が出せるようになっていった。新しい靴に履き替えるように自分の性格を変えることができるのかもしれない。彼と会った次の日は決まって晴れだった。

 今日もいつものように美術室へ入ろうとする。中から楽しそうな声が聞こえる。私はそっと中を覗く。そこには雪と楽しそうに話す彼の姿がある、私と話す時よりも。私は夕暮れの太陽みたいに沈んだ気持ちになる。考えてみれば私なんかが彼とつり合うわけない。雨と青空は同時に存在しないのだ。
「明日は大雨でしょう」
 私は彼に会わないように学校を出る。外はもう雨が降っている。傘を放送室に忘れたが、濡れても構わなかった。涙がポロリと落ちる。空は世界で一番大きな哀しみの傘に覆われていた。

 次の日は予報通りの大雨。私はコンビニで買ったビニール傘をさし、学校へ向かう。授業は耳に入ってこなかった。
「明日も雨でしょう」
 放課後、予報を終えて急いで帰ろうとする。ビニール傘を開くと私の心のように壊れている。走って帰ろうと鞄を持って駆け出す。
「忘れ物だよ」
 突然の声に振り返ると、彼がいた。手には私の黒い傘が握られている。
「ありがと」
 私は受け取る。彼の顔が少し赤く見える。何か緊張しているみたいだ。
「大事な話があるんだ」
 彼は静かに話し始める。大事な話を。
「実は前から君のことが――」
 不意打ちだ。私は思わず雨の中を走り出そうと、傘を開く。その時、私の足は止まった。

「綺麗――」
 傘の中は晴れだった。そこには私の大好きな彼の青空が描かれていたのだ。
「君はいつもどこか暗い顔をしていた。だから明るい顔が見たくて描いてみたんだ。こうすれば雨の日でも晴れになるだろ?」
 私は頷く。心に広がった青空が世界に広がっていく。一番当たるはずの天気予報は外れた。
「大事な話があるんだ」
 彼はもう一度言う。私は傘を閉じ、赤い顔を隠すのを止める。心に傘はいらない。
「その話は明日にしてくれてもいい?」
 彼は頷く。私にはまだ彼に向き合う準備ができていない。
 私と彼は校門まで一緒に歩く。そしてお互いの道へ歩いていく。でも行き先は同じだ。彼は振り返る。
「一つ質問していいかな」
「何?」
「明日の天気は?」
 私は空に向かって微笑む。もう空と心を覆う傘はなくなっていた。
「晴れよ」
 100パーセント。 
	

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