世界で一番端の街で
 世界の一番端にある街が僕の生まれた場所だ。
 世界の端だと言われている理由は世界中のクジラを縦にも横にも並べたほどの大きな壁があるからだ。その壁は何かとてつもなく神聖なものなので近付いてはいけない、って大人は言う。理由を聞くと昔からそう言われてるから、だって。近付いたらいけないのになんで壁があるんだよ。近寄らないと作ることもできないじゃないか。僕は理由のパッとしない大人の言い訳が大嫌いなんだ。
 世界の壁の脇をこっそり歩くのは僕の日課だ。僕は街を竹串のように貫通する道を歩いて壁に近付く。道はもちろん途中で消えてしまうのだが、僕が何度も通っているので僕がちょうど一人分通れる幅の獣道が出来ている。僕の成長につれて月日が経つにつれてその道は少しずつ成長し、いつも僕ぴったりの口を開けて待ってくれていた。みんなの興味は世界の壁と違う側にある高原や山の連なりに注がれていた。世界の端っこに住む僕たちが、わざわざ端の方に行くことなんてなかったのだ。
 でも僕はそんな広大なフィールドより、この冷たくて高い壁の方へと毎日出かけている。僕はありふれたRPGのような冒険はしたくない。最初の街にある神秘的な遺跡へ行くRPGがあっても悪くないと思う。ただ一つの問題をあげるとすると可愛いヒロインがいないことかな。 

 今日も僕はお馴染みの冒険へ向かった。道の端から獣道へ、獣道から壁へ、いつものコースだった。モンスターは全然出る気配はないが壁を見上げる瞬間は、いつも背中に感じる。冷たい小川の流れのような暖かい小川の流れのような。矛盾した感覚が服の中を這いずり回るのだ。
 物言わぬ壁は僕を飽きもせず見下ろす。壁からみた僕はアリのようなものなのだろうか。それともアリクイのようなものなのか。もしかしたらオオアリクイかもしれない。それならまだよい。きっと砂の粒みたいなものだろう。どれも同じ。その粒一つ一つを手に取り調べてみないと違いなんかわかりはしない。
 僕は壁に背を向け座った。こうやっていつも考え事をするのだ。この壁の向こうは一体どうなっているのかなっていうのが生まれてから一番の気になる事。他に複雑な人間関係についても考えたりもする。今日の晩飯は何だろうとたわいも無い事も考えたりする。この壁の下にいるとそんな小さな悩みを踏み潰してくれる気がするのだ。
 しかし今日はなかなか踏み潰してくれない。向こう側の事はこれまで想像しつくしてしまった。気になって気になってしかたがない。その悩みはもう世界の壁が踏み潰せれるより大きな壁となっており、逆に世界の壁の方を踏み潰してしまうほどだった。僕は緩やかな曲を奏でるピアノの上のメトロノームのように首を捻り続ける。繰り返し繰り返し何曲も奏でた後、僕は単純な答えを思い付いた。そうだ。聞いてみればいいんだ。向こうに誰かいるなら答えてくれるに違いないじゃないか。なんでこんな単純な考えが浮かばなかったのだろう。
 僕は声の調子を整え、背筋を伸ばし、少し緊張した面持ちで聞いてみた。
「おーい。誰かいないかー?」
 僕の声は世界を越えて届いたのだろうか。僕は胸を躍らせながら返事を期待した。
「あなたは誰?」
 声だ。世界の向こうからの女の子の声。世界の向こうに住む可愛い女の子の声だ。僕の理想という果実を百%搾り出しジュースを作ったような彼女の顔を想像した。
「僕は世界の向こう側の少年さ」
 僕は言った。彼女は少し笑ったような声で答える。
「そのようね。ならわたしは世界の向こう側の少女かな」
 世界の向こう側の少年と世界の向こう側の少女はこうして出会い、僕と彼女は友達になった。 
「あなたの世界って美しいのね」
 彼女はいつものように言う。僕の背中には世界の壁が城を守る門番のように構えている。目の前には見慣れた世界。常備している色鉛筆のワンセットのような草や花、風の匂いは何の変化もない。空には世界の影を全部集めたような色のカラスが飛んでいた。門番を越えたその先には彼女が僕と同じように座っているのだろう。
「そんなことは考えた事もなかったな。話を聞いてると君の世界の方がずっと美しく聞こえるよ」
 僕たちは毎日壁を背にしてそれぞれの世界の事を語り合っていた。彼女がどんな風景を見てるのかを想像しながら。でも実際はその想像をはるかに超えた美しさなんだろうな。世界も彼女も、きっとね。
 僕と彼女は顔が見えない恋人同士みたいな日々を過ごしていた。朝から壁へ出かけ日が暮れる頃になると街へ戻る。話す事は飽きることなく打ち寄せる波のようにたくさん沸いて来るのだ。自分の思い出とか友達や家族の事、世界の事、お互い話し、笑い、それもまた思い出になっていった。一人で壁に来てたとき考えてた事を彼女に話している。そしていつも別れ際に話すのは、
「この壁が無ければいいのに」
「この壁が無ければいいのに」
 という七夕の訪れない織姫と彦星のような叶えられない願い。それは僕たちの別れのあいさつになった。会って話したい。背中合わせじゃなく横に並んで話したい。そんな思いを胸に秘め僕たちの日々は川の流れのようにゆったりと過ぎていった。

「この壁を横にずっと歩いて行ったら切れ目があるんじゃない?」
 ある日彼女はこういう事を言った。壁を越えられないなら壁の切れ目を探せばよいのだ。
「切れ目なんかあるのかな」
 僕は漠然とそう思った。
「でも登るよりいいんじゃない」
 たしかに、と僕は答えた。彼女の言う通り登って会いに行くよりは横に歩いて切れ目を探した方がいい。
「それじゃあ、お互い違う方向へ歩いて行ってみない? 違う方向に行った方が効率がよさそうだし」
 違う方向を探せば同じ時間でも広い範囲を効率よく探せる。僕は一緒に探したかったがしかたがない。彼女と会うために我慢しよう。世の中はそれほど効率よくできていないのだ。
「じゃあまた日が暮れた時、ここに戻ってきて会いましょう」
 そう言って僕たちは壁の切れ目を探し始めた。それを発見する確率は砂漠の中でアマゾンを発見する確率と同じぐらいのように思えた。
 もちろん歩いたぐらいで見つかるはずもなく日没になってしまった。世界は赤いペンキをひっくり返したような色で染め上げれている。僕たちは何の成果も無く別れる前と同じ場所、違う時間に戻ってきた。
「どうやら壁はずっと続いてるみたいだ」
 壁のように続くため息を吐きながら僕は言った。
「そのようね」
 僕は少し期待していたのだが、やっぱり現実はそう上手くいかなかった。僕たちはその後何日も切れ目を探したが結局見つかることはなかった。そのぐらいの時間では砂漠に草さえ生えないだろう。
 
 僕と彼女は少し大人になり、壁越しに会う時間も少なくなってしまった。もう絶対に会えないのは分かってきたのだが、お互いに好きだと言う気持ちは生まれてからの記憶のようにそこに存在していた。時計は色褪せても時間自体は色褪せないのだ。何とか時間をやりくりしデートを重ねた。
デートと行っても壁沿いを歩くことしか出来ないのだが、それでも僕たちは幸せだった。ある日僕は彼女にプロポーズした。
「この壁にも僕らの愛は防ぐことはできない、結婚しよう」
 彼女は笑った。返事はもちろんオッケーに決まっている。返事はもちろんオッケーに決まっている。僕は頭の中で再帰的に処理をし続けた。終わらない呼び出しを続けていると彼女は返事をしてくれた。もちろん返事はオッケーに決まっていた。
 僕たちは壁越しに家を構え、新しい生活を始めた。お互いの世界を見てみたいという考えはゴミ捨て場をあさるカラスのようにいつも付きまとっていたが、どうしもない。彼女の世界の話を聞くたびに何度も胸を躍らせ、その話をする彼女を想像して胸をときめかせた。


 そんな素敵な毎日が何十年も過ぎ、僕たちの姿は変わってしまった。変わらないのは世界の壁と空を飛ぶカラスと僕たちの愛だけであった。僕たちは病気がちになり病院で入院しなければいけないと言われたが、お互い離れるのがいやだったので入院などしなかった。
あんな陰気な所で死ぬのは耐えられない。会う事ができないならせめて彼女の傍で死ぬ。彼女も同じ気持ちだったと思う。寝たきりになっても僕たちはそれぞれの世界の話をする事はやめなかった。
 そうしているうちに彼女と僕は余命あと一日とお互い宣告された。死ぬ時も僕たちは一緒みたい。恐怖という感情は砂漠に咲く花のように芽生える事はなかった。いつものように最後の一日もお互いの世界の美しさを語り合いながら過ぎていく。
 僕たちは時の流れのようにゆっくりとベットから起き上がり、子供の時みたいに背中合わせで壁に座った。その壁は彼女と僕の体温が響きあい、少し暖かくなっている気がした。
「この壁が無ければいいのに」
「この壁が無ければいいのに」
 僕たちはいつものように言い合い、静かに眠ることにした。
 次に目を覚ました時、そこはあの世であるに違いない。アリクイがアリを食う動物だと分かるように、そうだと分かった。
 見上げた景色は綺麗だった。想像していた彼女の世界に負けず劣らず綺麗なのではないだろうか。彼女に自分の世界の事を話す時、自分の世界を素直に見つめ返す事ができた。改めて考えると僕の世界は美しい。当たり前のようにある美しさを彼女といる時、実感できたのだ。そういう素晴らしい世界に生まれてきた事に感謝しよう。それを気付かせてくれた出会いに感謝しよう。
 違う世界だけど、同じ壁を背に眠れることに少し幸せを感じた。そろそろ眠るとしようか。


 目を開けるとそこはやっぱりあの世であった。それは世界中の美術館をボールの中に閉じ込めたような美しさだが、生きた美しさは感じられない。
 僕は色々な手続きをして天国へ行けることが決まった。手続きといっても書類は向こうがほとんど用意していたので僕はいくつかの質問に答えるだけでよかった。僕は生前ウソをついた事はあったが、特別悪い事はしなかったのですぐ天国行きの印を押された。
 天国への道を歩きながら彼女はどうなったのだろう、と考えた。世界が違うからやっぱり彼女は別のあの世に行ってしまったのだろうか。それを考えると天国も地獄のように思えてきた。この道が僕ぴったりの幅の道で、その先に世界の壁があればどんなに幸せだろうと思う。壁越しでいいから彼女に会いたい。あの世にも壁があるかどうか探したが、結局世界を隔てる壁は見つからなかった。

 何百年か過ぎた頃、地上ではある大発見があったのだ。
 世界はお盆のように平らでは無く丸かったって発見だ。はじめはピンと来なかったが、よく考えると丸い僕の頭でもピーンと来た。世界が丸かったってことは僕と彼女の世界は一緒だったのだ。広大なフィールドを舞台に冒険していれば彼女に会えていたのだ。世界をぐるりと一周すれば彼女というお姫様の元へ辿り着けたのだ。もっと早く発見できていればよかったのに。そうすれば彼女と会えたかもしれなかったのに……。
 僕はまたピーンと来た。彼女と僕の世界が同じなら彼女もこのあの世に来ているのではないだろうか。そう思うといてもたってもいられなくなり、僕は地上を飛ぶ天使のように走り出した。
 走りながら僕は思う。お互い美しいと言い合ってた世界は同じだったのだ。僕たちは同じ世界の事を美しい美しいと、あいさつを連呼する九官鳥のように話していたのだった。そう思うとなんだがばかばかしくなってきた。でもそれと同時に笑いがこみ上げてきた。その笑いは生きてた頃ならきっと世界の壁さえ越えていただろう。ほらやっぱり僕たちの世界は美しい。

 僕は天国中を走り回り彼女を探した。見たらきっと彼女だと分かる。そう信じて。もしかしたら彼女は地獄に行ったかもしれない、とも考えたがそれはありえないと思い直しまた走る。澄み切った青空の水平線のような綺麗な心を持った彼女が地獄に行ったのなら、世界中の人はみんな地獄行きになってしまう。そうなれば、天使の職も廃業だ。
 走っていると少し開けた場所に出た。そこはなんだか懐かしい匂いがしていた。目の前には澄んだ心のような青い空が見える。僕は世界を隔てる壁に背を向けるように青空に背を向けて座った。すると後ろの壁からの声が聞こえた。それは僕の理想という果実を百%搾り出しジュースを作ったような顔の女の子の声に聞こえた。
「おーい誰かいないかー?」
 僕が彼女に初めて言ったセリフ。僕は笑みを浮かべて思い出のページをめくり答える。
「あなたは誰?」
 僕が振り向くとそこに壁は存在せず、変わりに彼女がいた。やっぱりこんな顔だったか、なんて思って僕はニヤッとした。彼女も同じ事を思ったらしくニヤッとした。そして大きな声を上げて笑い合った。それは天国を越えて地上へ届き、世界の壁を壊す勢いだった。
「ほらやっぱり僕らの愛を防ぐことはできない」
 と僕は言い、目を閉じて瞼の裏じっとを見つめた。彼女はいつもの調子で答える。
「そのようね」
 そして僕たちの影は世界で一番近付く。
 目を開けた時、きっと僕たちは世界で一番近付いている。
	

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