ゴミ箱
 食べ切れなかった朝食をゴミ箱へと捨てる。先ほどまで食べ物だった存在は、一瞬のうちに生ゴミへと変化する。
「食べ物を粗末にしちゃいけません」
 ふと母親の声が頭の中に響く。僕は薄く笑う。母親などここにはいないのだ。
 大学に入学したとき、僕は実家を出て一人暮らしを始めた。誰も僕のことを知らない街に住み、何も知らない街を歩く。それは今まで感じたことのない優越感を与えてくれた。まるで背中に大きな白い翼が生えたようだった。
 僕は黒いジーンズをはき、白い襟付きシャツを羽織って鏡を見る。
「見飽きた顔だ」
 僕は鞄を持ち、家を出る。大学へは歩いて五分ほどで着く。

 今日の授業は昼過ぎに終わった。友達と当たり障りのない会話を交わし、家へと帰る。空は少し薄暗く、雲はいつもより速く流れていく。
 僕は急に喉の渇きを感じ、歩道の脇にある自販機に近寄る。僕は小銭を入れ、スイッチを押す。投入したお金と同価値の缶が出てくる。炭酸のレモンジュースだ。僕は昔から炭酸はレモン味と心に決めている。
 僕は自販機の前でジュースを飲み干す。そして空き缶を捨てようと自販機の横を見る。そこに普通あるはずのゴミ箱がない。
「何でないんだ?」
 僕は言う。そして辺りを見渡し、誰もいないことを確認する。音の鳴らないように静かに地面に置く。僕が捨てたことなど世界中誰も知らないだろう。
「ポイ捨ては駄目ですよ」
 僕は声をかけられ驚く。振り向くと背の低い男がいた。

 気味の悪い男だった。年齢は三十代手前ぐらいだろうか。口が裂けてるかのような笑いが印象的だ。僕は男の表情に吸い込まれる。
「真面目そうな顔してるのに、ポイ捨てなんかするんですね」
 気味の悪い男は言う。僕は少しイラつく。
「わかりました。ちゃんとゴミ箱に捨てますから」
 僕はかがんで空き缶を拾おうとする。しかし僕の手は空を切る。
「空き缶が――」
 僕はさっきそこに置いたはずの空き缶を探す。しかしどこを見渡しても空き缶はない。僕は気味の悪い男を見る。口がさっきより裂けているように見える。
「空き缶をどこに隠した?」
 僕は男に聞く。男は後ろに回していた手を前へと出す。その手には小さな黒いゴミ箱がある。
「それに捨てたということか」
 気味の悪い男は何も言わない。男は僕の言葉を無視するかのように話し出す。
「底なし沼って知ってます?」
「……それに捨てたんじゃないのか?」
 会話は複雑な形をした歯車のように噛み合わない。気味の悪い男は続ける。
「底なし沼に物を捨てると、そのまま沈んでいく。そしてそれはもう取り出すことはできない」
「何が言いたい?」
「ポイントは底がないという所です。底なし沼という名前だが、底は必ず存在する。しかしこのゴミ箱は違う。本当に底がないんですよ」
 そう言って気味の悪い男はゴミ箱の中を僕に見せる。そこには男が捨てたはずの空き缶などは見えず、ただ闇があるだけだ。どこまでも完全な黒い色をした闇だった。
「このゴミ箱は何だって捨てられる。それに底がないからいくらでもゴミを捨てることができる」
 僕はこの男の表情だけでなく、話に吸い込まれていく。それともこのゴミ箱に吸い込まれそうになっているのだろうか。
「あなたにこれを差し上げます」
 気味の悪い男は僕にゴミ箱を渡す。ゴミ箱はまるで小さな翼が生えてるかのように軽い。男の話は本当なのだろうか。僕は言う。
「なぜ僕にこんなものをくれる?」
「ただ一つ、このゴミ箱に捨てられないものがあるんですよ」
 男は僕から離れていく。そして振り返り、言う。
「このゴミ箱自身ですよ」

 ベットから起き、僕は机の横を見る。昨日が夢じゃなかったことを示すように黒いゴミ箱は部屋に存在していた。僕は注意深くゴミ箱を見つめる。 昨日は気づかなかったが、ゴミ箱に小さな紙が張り付いている。ゴミ箱と全く同じ色の紙だ。僕はそれを丁寧にはがす。黒い紙の上に白い文字が規則的に並んでいる。
「何が書いてあるんだ?」
 その紙はこのゴミ箱の説明書のようだった。僕は説明書をはがした跡を見る。そこには『21』という数字が小さく書かれている。何の数字なのだろう。
 僕は時計を確認する。もう学校へ行かなくてはいけない時間だ。ジーンズのポケットに説明書を入れ、僕は家を出る。数字の謎はまた今度だ。不思議と足取りは軽い。

 教室に入ると、僕は目立たない窓際の席に一人腰を下ろす。授業開始数分前というのに教室は閑散としている。教授の話なんて誰も聞いちゃいない。大事なのは授業を受けたという思い込みなのだ。僕はポケットから説明書を取り出す。
「このゴミ箱には、何でも捨てることができる」
 一行目に書かれてある言葉だ。僕は男の話を信じた訳ではないが、このゴミ箱は普通とは違うというのを本能的に感じている。そう、これは普通とは違う。
 二行目からは注意書きが書いてある。僕はそれを頭の中で読み始める。
 一、同じ種類のゴミは捨てれない。
 二、捨てたものは通常取り出せない。
 三、ゴミ箱をひっくり返してしまうと、今まで捨てたゴミがすべて出てくる。
 四、ゴミ箱に入ったゴミは捨てた瞬間のまま保存される。

 僕は説明書を読み終える。
「同じ種類のゴミは捨てられない――どういうことだ?」
 僕は机の中に手を入れてあるものを探す。いつもの感じならあるはずだ。
「やっぱりあったか」
 僕は小さく笑う。僕は手に握られている空き缶を見る。教室のすぐ外にゴミ箱があるというのに、こんな所にゴミを捨てる奴もいるのだ。それは何度掃除してもわいてくる汚いホコリを連想させる。
「同じ種類のゴミ……つまり昨日の空き缶がゴミ箱に入ってるはずだから、もう空き缶は入らないということなのだろうか?」
 僕は空き缶を鞄に入れる。正確に確かめないといけない。これはきっと重要なことだ。

 玄関の鍵を時計と同じ方向へ回し、扉が開く。僕は机の上に鞄を置き、そこから空き缶を取り出す。
「ためしてみるか」
 僕は机の横に置いてあるゴミ箱を見下ろす。そして空き缶を手から離す。空き缶は僕から地球の重力へと支配者を代える。空き缶がゴミ箱に入ろうとした瞬間だった。まるで運命みたいに空き缶はゴミ箱にはじかれて、床へと落ちる。僕は説明書を少し理解する。
「世の中上手いことだけではないな」
 僕は思う。世の中上手いことだけで成り立つわけではない。僕はもう一つためしてみることにする。

 僕は机の横に置いてあるゴミ箱を見下ろす。そして缶を手から離す。缶は僕から地球の重力へと支配者を代える。缶はそのままゴミ箱の中へと消える。無音という音が聞こえる。僕は言う。
「空き缶はもうこれ以上入らないが、まだ空けてない缶はゴミ箱に入れることができる」
 さっき外の自販機で炭酸のレモンジュースを買ってきたのだ。僕は説明書を少しずつ理解していく。
 僕はゴミ箱に書かれた数字のことを思い出し、それを見てみる。ゴミをあらたに入れても『21』という数字に変化はない。製造番号みたいなものだろうか。
 数字の謎を考えていると、アルバイトへ行かなくてはならない時間になった。時間は僕だけをおいて進んではくれない。時間といえば説明書の注意書きにもこういうのがあった。
「ゴミ箱に入ったゴミは捨てた瞬間のまま保存される――」
 通常ゴミなんて取り出すことはないのに、どうしてこんな機能がついてるのか不思議に思う。僕は少し考えて、小さく笑う。
「そんなことを言えば、この世界も一緒じゃないか」
 理由が分からないものなんて、この世界に無限に存在する。理由なんて分からなくても、それぞれ運命に従って時を刻み続けるのだ。

 僕がアルバイトをしてる理由は車を買うためだ。僕は休日に友達と遊んだりするのが好きではない。一人でどこかへ行くのが好きなのだ。できるだけ遠くへ行って、つまらない日常から逃れたい。そのためにどこかへ行くための足が必要だ。それに僕は電車やバスが嫌いだ。顔しか知らない誰かが運転する乗り物に乗る気はしない。もしそこで事故でも起こり、僕の人生を台なしにされてはたまらないのだ。
「今月の給料だよ。お疲れさん」
「ありがとうございます」
 店長から給料の入った茶色の封筒をもらう。僕は小さく礼を言い、店を出る。
 店を一歩出ると、空は宇宙の真実を映し出すように黒く染まっていた。僕は鞄からもらったばかりの茶色の封筒を取り出す。その中には僕の働きと同価値のお金が入っている。
「このお金と家にあるお金を合わせても、あと少し足りないか」
 僕のほしい車を買うためには、もう少しお金が足りない。あと少し我慢すればほしいものは手に入るのだ。

 それから一ヶ月間、僕はあのゴミ箱を使用することはなかった。同じ種類のゴミは捨てられないので、いざというときのために何も捨てないことにしたのだ。そういざというときのために。
「今日もバイト?」
 授業が終わり、友達に声をかけられる。僕は皮膚の表面だけうんざりした顔で答える。
「そうなんだよ。まったくあの店人使い荒いぜ」
 僕は友達に別れを告げて、そのままバイト先へ向かう。ようやくほしいものが手に入るのだ。
 バイトを終えた僕の前に店長が現れる。その右手には茶色の封筒がある。店長は微笑んで僕に言う。
「今月はよくがんばっていたね。ちょっとプラスしといたよ」
「本当ですか、ありがとうございます!」
 僕はガラにもなく、声を張り上げてしまった。僕は心の中からいつもの自分を引っ張り出す。店長に小さく会釈をして店を出ることにする。明日は休日だ。車を買いに行こう。夜の冷たい空気が今日ばかりは気持ち良い。

 時計が回転し、僕と世界は朝を迎える。いつもより多めに朝食を取り、出かける準備をする。僕はふと机の横のゴミ箱を見る。それは何かエサがほしそうな動物を連想させる。どことなく胸騒ぎを覚えた僕はいつもより大きめの鞄にゴミ箱を入れ、持っていくことにする。何か嫌な予感がするのだ。
 僕は玄関の鍵を時計と逆方向へ回し、扉を閉める。僕がほしい車は中古車だ。燃費は悪いが、その形に惚れ込んでしまったのだ。美しいものにはどんな人間でも惹かれてしまう。僕は今日の午後、この家にその美しい車で帰ってくることを想像して、思わず笑みをもらす。車を売っている代理店までは歩いて十五分ぐらいだろう。

 現金と車の受け渡し以外の手続きは先週のうちに済ましておいたので、車はすぐ手に入った。僕は好奇心の扉を開けるようにエンジンキーを回す。エンジンは徐々に温まり、僕はアクセルをゆっくりと踏み込む。僕の意志に従い車はゆっくりと動き出す。
「やっと手に入れた」
 僕は大声で笑う。車の中だけにその笑い声は響き渡り、そのまま収束する。僕は悩む。このままどこかへ行ってみようか、それとも一度家に帰ろうか。僕は幸福な夢を見ている子供のような気分になった。
 僕はいつも歩いてる道を普段の倍以上のスピードで駆け抜ける。僕を止めるものは信号しかない。僕の家に近づいたとき、僕に向かって歩道から手を振る人物がいるのを見つける。僕はサイドウインドウを下げ、その人物に声をかける。
「よく僕だと分かったな」
「わたしは物覚えだけはいいんですよ」
 あのゴミ箱をくれた気味の悪い男だ。あいかわらず口が裂けた笑いを浮かべている。
「それで僕に何の用だ?」
 気味の悪い男は言う。
「わたしが差し上げたゴミ箱がどうなったのか聞きたくてね。ちょっと話でもしませんか?」
「分かった。どうせならドライブしながらでも?」
 僕は言う。僕は今とても気分が良いのだ。
「ではお言葉に甘えて」
 気味の悪い男は助手席側のドアを開けて、座席に座る。
「シートベルトは締めて下さい」
 気味の悪い男はさらに大きく笑う。
「もちろんですとも。人生は常に安全な道を選ぶべきなのですから」

「ゴミ箱は有効に使ってますか?」
 気味の悪い男は言う。僕は男の顔を見ず、目の前のアスファルトだけを見つめて答える。どうせ顔は笑っているのだろう。
「それなりに」
「それはよかった。ちゃんと説明書を読みましたか?」
 僕は声を出さずにうなずく。
「ゴミ箱をひっくり返したことは?」
「ないね。何がどれだけ入ってるか分からないし、ゴミを部屋の中に撒き散らす趣味はない」
「それは言えますね。それに同じ種類のゴミは捨てられないということは――」
 僕は気味の悪い男の言葉をさえぎる。
「うかつに色んな種類のゴミを捨てたら、いざというとき捨てられない」
「その通りです。あなたは頭が良いですね」
 この男のこのしゃべり方は、人を嫌な気分にさせる。男を安易に車の中へと招き入れたことを後悔する。そして安易に奇妙なゴミ箱を受け取ってしまったことも後悔する。
「わたしはどうも運がなくてね。唯一の幸運はあのゴミ箱をもらったことぐらいですよ」
「そんな幸運をなぜ僕にくれる?」
「前にも言いました通り、あのゴミ箱自身を捨てることができないからですよ。この世にあのゴミ箱はもう一つ存在したら別でしょうけどね。でもそれはないでしょう。同じ人間が同時刻に存在できないのと同じように」
 僕は男の言葉に矛盾を感じる。幸運だというのに、なぜ捨てる必要があるのだろうか。
「幸運だというのになぜ捨てる必要がある? それにわざわざ人に渡さなくても、ゴミ箱をどこかへ捨てればいいじゃないか」
 男の表情が一瞬固まる。笑ってばかりいた顔が崩れていく。僕は今まで見たことのない男の表情に目を奪われる。男は突然言う。
「ブレーキを踏め!」
 僕は視線を正面に戻す。そこに黒い塊が見えた。脇道から何かが出てきたのだ。次の瞬間、すべての動きはスローモーションになる。僕はその黒い塊をよく見つめる。それは人間だった。僕と同い年ぐらいの男。僕とその男の視線は重なり、車の軌道ともぴたりと重なる。僕は「危ない」と叫ぼうとするが、それは声にならない。そしてゆっくりとその男は車に衝突し、ゆっくりと遠くまで跳ね飛ばされる。まるですべてが終わったことを確認するかのように、時間は通常の速度へと加速していく。

 僕はシートベルトを外し、車の外へ出る。数メートル先に男が倒れているのが見える。助手席にいた気味の悪い男は気を失っているみたいだった。僕は辺りを見渡す。ここは田舎道で、車はほとんど通らない。歩行者が見てる可能性もないはずだ。
「誰も見ていない。きっと誰も見ていない」
 僕は呪文のように言う。誰も見ていないなら逃げてしまおうか。僕は急いで運転席へ戻ろうとする。そのとき近くから声がした。
「お兄ちゃん、忘れ物だよ――」
 僕は男が出てきた脇道の方を見る。そこから、その男の妹とおぼしき女の子が走ってくる。僕は背中に冷たいものを感じる。女は脇道から車道の方へと完全に出てきてしまった。僕は瞬きすらできない。
「お兄ちゃん!」
 女は倒れて動かない兄に向かって駆け寄る。僕はその様子を見ながらつぶやく。
「どうにかしなければ、どうにかしなければ、どうにかしなければ、どうにかしなければ、どうにかしなければ――」
 妹は僕の方へと振り向く。
「お前がひいたのか?」
 僕はなぜか正直にうなずく。まずはこの女をどうにかしなければいけない。女は僕の顔を見つめる。そしてまた兄の方を向き、ポケットから携帯電話を取り出す。救急車を呼ぼうとしているのだ。僕は小さく笑い、道に落ちていた木の棒を拾う。僕は言う。
「どうにかすればいいんだ」
 真っ直ぐに棒を振り下ろす。小さなうめき声がし、女は意識を完全に失う。僕は僕のおかれた状況を正確に確かめる。とても困難な状況だ。僕は思う。いざというときは今なのだ。
 僕は車の後部座席に積んだ大きめの鞄を掴み、中からゴミ箱を取り出す。僕は、ひいた男の死体さえ隠してしまえば大丈夫だと考える。僕は死体を触る。心臓が動き出す気配はない。僕は死体を何とか持ち上げ、ゴミ箱へ入れようとする。
「入らない」
 僕はもう一度持ち上げ、ゴミ箱へ入れようとする。
「入らない」
 何度やってもゴミ箱に死体は入っていかない。ゴミ箱より大きいからだろうか、それとも人間はゴミではないとでもいうのだろうか。どちらかというとゴミ箱にはじかれている気がする。
「なんで入らないんだよ!」
 僕は焦り、絶叫し、その場に崩れ落ちる。そのとき説明書の言葉が頭に響く。
「同じ種類のゴミは捨てれない――」
 僕はまさか、と思う。僕はゴミ箱をひっくり返してそのことを確かめようとする。僕はゴミ箱を持ち上げ、ゆっくりとひっくり返す。
「ゴミ箱をひっくり返してしまうと、今まで捨てたゴミがすべて出てくる」
 注意書きの通り、今まで捨てたゴミがすべて出てくる。アスファルトの上に気味の悪い男が捨ててきたゴミが広がっていく。その中に血のついたナイフのようなものが見える。そしてその横に大きな塊が見える。僕は大きな塊を見つめ、言う。
「やはりそうなのか」
 それは僕が捨てようとしていたものと同じ種類のゴミ――つまり死体だ。僕は大きな声で笑う。まるで口が裂けているみたいだ。
「どうりで入らないわけだ」
 僕は笑いを止めることができない。気味の悪い男がこのゴミ箱を僕にくれたのは、死体が入ってるからなのだ。男は僕に罪をなすりつけようとしていたのだろう。
 そして次の瞬間、僕の頭は恐ろしく冷静になる。僕は言う。
「この運命を捨て去らなければいけない」
 僕は両手を大きく広げる。背中に大きな黒い翼が生えたみたいだった。

 僕はハンドルに両手を置き、アクセルを軽快に踏む。全開にしたサイドウインドウ
からは優しい風が吹き込んでくる。あれからもうすぐ一年になるのだ。僕は僕の車が盗まれたあの事件を思い出す。まだ一年しか経っていないというのに記憶はどこか曖昧だ。でも昨日その事件の犯人の有罪が確定し、僕の心はどこかすっきりしている。
「ようやく一段落ね」
「うん、そうだな」
 僕は助手席に座る彼女に言う。事件があった日は、本当に運がないと思っていた。車が事故でつぶれてしまったのだ。しかしそれからすぐ幸運が舞い降りた。今まで彼女なんてできたことない僕に、こんな素敵な年下の彼女が出来たのだ。それに卒業後の就職先もすぐ決まった。まるで僕に白い翼を持った天使が舞い降りたようだ。
「でも逆に盗まれてよかったんじゃない? 賠償金でこんな素敵な新しい車も買えたんだし」
「たしかにね、そこはラッキーだった」
 彼女と僕は二人で笑う。風は車を通り抜けるとき、さらに優しくなって出ていくだろう。
「でも本当殺されなくてよかったよ。死んだら君とも出会わなかったわけだし」
 僕の車を盗んだ犯人は、事件の数ヶ月前に起こった殺人の犯人としても起訴されたのだ。
「またそんなこと言って。ちゃんと前見て運転しなさいよ」
「了解」
 彼女といると、目の前の信号はすべて青に変わる気がした。

「ここが目的地?」
 彼女の言葉に僕はうなずく。
「うん、ここで合ってる」
 僕たちは車を止め、辺りを見渡す。ここは町外れにある廃工場だ。事件の日に車を探しにきたことがあるのを思い出す。この工場はたしか経営する会社が倒産し、業者がこの土地の買い手を探している状態にあったはずだ。立地条件が悪いのでまだ買い手は見つかってないらしい。
 僕は鞄から一枚の紙を出す。それは短い手紙だ。
『犯人の有罪が決定したら、これを開けろ』
 その手紙には僕の字でそう書かれている。事件があった一年前、僕の鞄から出てきたのだった。僕はもちろんこんな手紙を書いた覚えはなく、たちの悪いいたずらだと思った。でも何となく気になり、保管しておいたのだ。昨日犯人が有罪になった後、この手紙のことを思い出し、開けてみたのだ。中身も僕の字で書かれていた。
 僕は声を出してその手紙を読む。
「――町外れの廃工場に行け。そしてそこにある『21』と書かれたゴミ箱をひっくり返せ」
 彼女は僕を不思議そうな顔をして見る。
「何回聞いても意味の分からない手紙ね」
 僕は小さくうなずく。本当に意味がわからない。ゴミ箱をひっくり返すとどうなるというのだ。
「手分けして、そのゴミ箱とやらを探してみよう」
 僕たちは一時的に別れる。このまま永遠に別れてしまうわけではない。

「これがゴミ箱なのか?」
 僕は目の前にある黒いゴミ箱らしきものを見つける。それは廃材などでひっくり返せないように固定されている。僕はゴミ箱をよく観察してみる。ホコリでよく見えなくなっているが、表面に『21』と書かれているようだ。僕は彼女を呼ぼうかと思ったが、何となく呼ぶのをやめる。このゴミ箱に対する好奇心がそれを上回ったのだ。
 僕はゴミ箱を固定している廃材を取り外し、ゴミ箱を手に取る。それは何も入ってないと思えるほど軽い。しかしその軽さと違って、ゴミ箱の中身は宇宙を思わせるほど重く、暗い色をしている。なぜか底は見えない。
「これをひっくり返せばいいのか」
 僕は激しく高鳴る鼓動を何とかおさえ、ゆっくりとゴミ箱をひっくり返す。僕はそこから出てきたものに驚く。ゴミ箱から出てきたのは、二つの缶と血のついた木の棒、そして一つの大きな塊。その大きな塊は男の死体だった。
「死体だ――」
 僕は悲鳴を出すことも出来ずに、死体を見つめる。その死体は今死んだばかりのように見えるぐらい生々しい。僕はその近くにあるゴミを見つける。それはとても大事なものだった。僕はそれを見つけ、大きく笑う。まるで口が裂けてしまったみたいに大きく笑う。
「たしかにこのゴミ箱は何でも捨てられるみたいだな」
 僕は男の死体を見る。僕が見つけたとても大事なもの、それは一年前に起こった事件の日に捨てたものだ。――それは僕の記憶だ。
「まだ血さえ固まっていない。ゴミ箱に入ったゴミは捨てた瞬間のまま保存される、たしかに注意書きの通りだな」
僕は事件のことをゆっくりと思い出していく。僕の意識はタイムマシンに乗ったみたいにあの日にさかのぼっていく。

 僕は気味の悪い男に罪をかぶってもらうことにしたのだ。男に車を奪われたことにし、逃げている最中に交通事故を起こしてしまう、そういうシナリオだ。
 まず一番まずいのはひいてしまった男の死体だった。ゴミ箱に入れようとしたとき、素手で持ち上げたりしたために指紋がべったりくっついてしまっているだろう。指紋がついてていいのは、僕の車だけだ。僕はまずひいた男の死体をゴミ箱に入れる。
「もう一つの死体はどうすればいいか」
 僕は自分に問いかけながら作業を続ける。僕は死体をそのままに残すことにする。下手に触れば、指紋がついてしまうからだ。
 次に、僕はひいた男の妹を殴った木の棒をゴミ箱に入れる。これで僕がここにいた物的証拠は完全に消えたはずだ。僕は車に乗り込み、助手席に乗った男を運転席に移す。指紋は男と争ったときについたとでも言えばいいだろう。僕は男に言う。
「本当にあなたは運がないみたいだ」
 そう言って僕は運転席のドアを閉める。僕はそこに置いてある黒いゴミ箱を見つめる。あと一つ捨てなければいけないものがあるのだ。
「それはこの事件に対する記憶――」
 このゴミ箱には何だって捨てられるのだ。しかし、同じ種類のゴミは一種類しか捨てられない。僕は誰の記憶を捨てるのが一番いいのかを考える。僕は僕に問う。

 ――気味の悪い男の記憶を消すとどうなるだろうか?
「いや、それはだめだ。女には僕が犯人だという記憶がある」
 ――なら女の記憶を消せばよいのではないか?
「女の記憶を消せば大丈夫だろうか? いや、やはりだめだ。気味の悪い男が僕が犯人だと言うだろう」
 ――僕が犯人だと認めなければいいのでは?
「いや、その場合もだめだ。嘘発見器でも使われたらまずいことになる」
 ――やはり僕自身の記憶を消さなくてはいけない?
「そうすれば嘘発見器には引っ掛からない。僕がひいてしまった死体が見つからないのはおかしいが、僕の記憶がないのなら見つかる心配はない」
 ――この場合、気味の悪い男はどうなる?
「気味の悪い男は自分が犯人じゃないことを証明するために、ゴミ箱の話をしたりするだろう。そんな話はまず警察は信じない。それに奴はもう一人の人間を殺してる。そのとき使った凶器だってゴミ箱から出てきた。おそらく奴の指紋がべったりだろう。きっとゴミ箱の話をしたら頭がおかしいと思われて、僕にとっては好都合だ」
 ――じゃあ女はどうなる?
「女は僕の顔を覚えているだろう。しかし僕がひいたという証拠はないはずだ。ひいた男の血痕は残ってるが、死体がなくてはどうしようもないだろう」
 ――裁判で女に証言されたらどうする?
「それも死体がないから大丈夫だろう。何より僕は絶対に罪を認めないだろう。記憶がないのだから」

 僕は自分の記憶を消し去ることを決意する。問題はその記憶を取り戻すかどうかだ。僕はどうするか考える。やはり自分の記憶は取り戻したい。しかし、それは気味の悪い男が有罪になった後だ。僕は人に見られないうちにこの場所を立ち去ろうとする。僕の足元に乾いた高い音がする。何かを蹴飛ばしてしまったのだ。
「危ないところだった」
 僕はその蹴飛ばしてしまったものを拾い上げる。僕が飲んだ炭酸のレモンジュースの空き缶だ。思わぬ証拠を残してしまうところだった。僕はまだ開けてない缶も見つけ、二つともゴミ箱に入れる。そしてゴミ箱を鞄に入れ、急いで警察署へと向かう。

「そうですか、それで車の特徴を教えていただけますか?」
 僕は警察署に車を気味の悪い男に盗まれたと報告しにきている。
「えっと色は白で、車種は――」
 僕は車の特徴や、犯人の特徴を説明する。
「とりあえず今日はこれでお引取り下さい。あなたも疲れているでしょう」
 僕は小さくうなずく。そしてゴミ箱の入った鞄を持って警察署を出る。

 僕は家には帰らず、町外れの工場へ行く。僕はその工場の一角にゴミ箱を隠す。そのままでは自然に倒れてしまう可能性があるので、工場の中にある廃材を使って固定する。そして僕は僕宛に手紙を書く。
 手紙を書き終えて、封筒に入れる。そしてそこに言葉を書く。
『犯人の有罪が決定したら、これを開けろ』
 僕は手紙を鞄の中に入れる。僕の性格からしたらこの手紙のことは警察にはきっと言わないだろう。僕は自分の中に今日の歴史をインプットし直す。
「今日車を買った後、僕は気味の悪い男に車を盗まれる。そしてそれを警察へ届ける。僕がここにいる理由は車を探しにきたからだ」
 僕は呪文のように何度も繰り返す。そして僕は事故の記憶、気味の悪い男の記憶、ゴミ箱に関する記憶を目の前のゴミ箱に捨てる。
 しばらくすると僕の携帯が鳴る。
「あなたの車を盗んだ犯人が見つかりました。すぐ警察署まできて下さい」
 僕は何の疑いもなく警察署へ向かう。僕は自分の運命を書き換えたのだ。

 事件の裁判は僕の予想通りに進んだ。精神に異常をきたしているとされた気味の悪い男だったが、結局は有罪。ただ一つ予想と違ったのは、僕がひいた男の妹が証人にならなかったということだ。なぜだろうか。
 僕の意識は事件のことを整理し終え、現代に戻っていく。僕はひいた男の死体をもう一度ゴミ箱に入れる。あとはこれを守っていくだけだ。ようやくすべて終わったのだ。僕は大きく深呼吸し、その場に座り込む。
「いいえ、まだ終わってないわ」
 僕は驚いて振り向く。そこには僕の彼女がいた。彼女はひいた男の妹を殴った木の棒を拾う。その棒にはまだ生々しい血がついている。
「何が?」
 彼女に死体が見られたのだろうか。でも見られてもいっこうに構わない。今度は彼女の記憶をゴミ箱に捨てればいいのだから。
「やっと証拠を見つけた。やはりあなたが犯人だったのね」
 僕は彼女の顔をよく見る。そしてさっき取り戻した記憶の中にそれを見つける。この女は――
「まだ分からないの? わたしはあなたが殺した男の妹よ」
 僕は座ったままゆっくりと後ずさる。彼女は言う。
「事件があった日、意識を取り戻したわたしは病院にいた。そこで犯人の逮捕を知った。でもおかしなことに気づいたのよ。犯人は違う人物だし、兄の死体はないということに。そしてわたしが見たはずの犯人は、被害者の顔をして平然としていた」
 僕は完全に立ち上がる。この場から逃げ出したいのに僕の足は一歩も動かない。完全に彼女の圧力で固定されている。僕は恐怖に支配されている。
「警察にはもちろん言ったわ。しかし信じてくれなかった。なんせ死体がないんだから。あなたが犯人という証拠もね。そしてわたしは裁判に証人として立つことを拒否した。この国の司法ではあなたを裁けないというのだもの。だからわたしはあなたに近づいた」
 僕と彼女の距離は近づいていく。木の棒が彼女の手の中で気持ちよさそうに揺れている。
「あなたは兄をひいたことも、わたしのことも知らないようだった。記憶がなくなってるように見えた。でも今日、兄の死体の隠し場所が分かったわ。それにあなたが犯人だということもね」
 もう彼女の呼吸をも感じられる距離になっている。彼女は笑う。まるで口が裂けてるみたいに。
「だからわたしが裁いてやるの」
 そう言って彼女は木の棒を振り下ろす。僕の頭はそれをまともに受ける。
「何でそんな小さなゴミ箱に死体が入るのかは分からない。けどそんなことはどうでもいい。あなたのようなゴミこそそこに入るべきだわ。あなたとはここで永遠にお別れよ」
 僕は遠のく意識の中、何とか彼女のそばから逃げ出す。足がからまり上手く走れない。そんな僕の後ろから木の棒を引きずる音が聞こえる。
「どこまでも追いかけて殺してやるわ」
 僕は殴られた部分を触る。血はあふれ出し、骨は折れている。これはもう助からないかもしれない。僕の目の前に絶対的な死の恐怖がおとずれる。
「死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない――」
 僕の精神は混乱し、体は崩れ落ちる。彼女は僕を見下ろし、木の棒を勢いよく振り下ろす。
「死ね」
 とても気持ちの良い音をたてて、僕の意識は遠い彼方へ消えて行く。

 わたしは今殺したばかりの死体をゴミ箱がある部屋まで引きずっていく。
「どうすれば入るのかしら」
 わたしは死体の上半身を何とか持ち上げ、ゴミ箱に頭から入れる。死体はゴミ箱に吸い込まれていく。そして次の瞬間、ゴミ箱は青白い光に包まれる。
「何?」
 わたしは思わず声を上げる。あまりのまぶしさに目を閉じる。
 次に目を開けた瞬間、ゴミ箱はわたしの目の前から初めから存在しなかったように消え失せていた。
「待って! まだあの中には――」

 目を開けると、そこは見たこともない部屋だった。僕はベットに寝かされ天井を見つめている。
「そりゃあの世だもんな。見たことないに決まっている」
 僕は小さく笑う。あの世が存在するとしたら僕は間違いなく地獄行きだろう。
「しかしここは地獄に見えない――」
「そう、ここは未来だよ」
 ベットの脇から声が聞こえる。そこには見たことのない格好をした年老いた男が立っている。天使みたいに真っ白い服を着ている。どうやら医者みたいだ。
「君は瀕死の重傷だったんだよ。君の時代ではもう助からなかっただろうね。しかしここは未来だ。死んだ人間だってすぐになら生き返させることができる」
 僕は自分が陥っている状況が正確に理解できない。
「えっと最初から説明してくれませんか?」
 医者は答える。
「いいとも。ここは君の生きてた時代から遠く離れた未来だ。君たちの暦で言うと三十世紀ぐらいに当たるはずだ」
「どうして僕はこの時代に?」
「いい質問だ。君の入ってたゴミ箱が未来へと戻ってきたからなんだ。ゴミ箱型のタイムマシンに乗ったようなもんだよ。あのゴミ箱は、旧世紀――つまり君たちの生きてた時代を研究するために送られたんだ。旧世紀のものを勝手に取ってくるのは歴史が変わる恐れがあって違法なんだ。そこで考え出されたのはゴミだ。少量ならゴミを持って帰っても歴史に支障がないことが証明されたんだよ」
 何で僕はゴミ箱に入っていたのだろうと考える。彼女に捨てられたのだろうか。
「ということはあの注意書きはゴミを少量だけ持って帰るため?」
「その通り。さすがに建物ぐらいの巨大なゴミは捨てられないような設計になっているけどね。ひっくり返すとすべてのものが出てくるのも研究するとき楽なんだ」
「ゴミ箱なんか作らなくても、自分たちで集めてくればいいんじゃないの?」
「たしかにそうだ。でも残念ながら人をタイムトリップさせるには精神に大きな負担がかかるし、コストも高い。君は瀕死だったから精神面では大丈夫だったけどね。それにゴミを集めるなら、その時代の人間に任した方が早い。だからゴミ箱に説明書をつけて過去へ送るんだ。ゴミ箱は数年後未来へ戻ってくるような設計になっている」
 僕は医者の話を聞き終わり、大きな深呼吸をする。大事なのはあのゴミ箱が正体ではない。僕の命はまだ続いているということなのだ。
「『21』と書いてあった数字は二十一世紀を表してたというわけか」
「そうだね。君はなかなか頭が良い。色んな時代へあのゴミ箱は送られているんだよ」
 僕は小さく笑う。医者は続ける。
「体調はもう良いみたいだね。治ったなら君はこれから過去へ帰らなくてはいけない」
 僕の笑いは一瞬のうちに止まる。僕は医者に聞く。
「なぜ?」
「なぜってそりゃ決まってるじゃないか。君はこの時代の人間ではないのだから。それに心配してる家族だっているはずさ。時間も場所もぴったりに君を過去へ送り届けるよ」
 冗談じゃない。そんなことをされたら帰った途端、今度こそあの女に殺されてしまう。どうにかしてこの時代に残らなければいけない。もちろん過去で自分が殺人を犯したから帰れない、なんて言えない。
「タイムトリップは精神に負担がかかるんでしょ? こっちへ来るときは瀕死だったからいいけど、帰りはそうもいかない。僕はそんな恐怖を感じるならこの時代で生きてみたい。今まで過去の人が未来で暮らしたということはないの?」
 医者は少し困った顔をする。
「あるにはあるよ。間違って未来に跳ばされた人たちが集まって、一つの町が作られているんだ」
 僕は医者の言う町に住むことに決めた。僕はすべての過去をゴミ箱に捨て去って新しい未来へと歩いていくのだ。

 次の日、僕はベットの上でこれからのことを考えていた。体が治った今、未来の世界を見たくてたまらない気持ちになっている。ふと扉をノックする音が聞こえる。時代は変わってもこういうところは一緒なのだと思う。
「面会の方ですよ」
 看護師の声が聞こえる。僕は思う。こんな僕に面会?
 部屋の外から僕と同い年ぐらいの男が入ってくる。男は僕に言う。
「元気になったようだね?」
 僕は男の顔を見て、背中に冷たいものが走る。男は僕に構わず続ける。
「注意書きにこんな文がある。ゴミ箱に入ったゴミは捨てた瞬間のまま保存される」
「お前は僕が殺したはず――」
 僕が車でひき殺したはずの男が目の前にいる。
「医者も言ってたじゃないか。死んだ人間だってすぐになら生き返させることができるってね」
 男の右手には鉄の棒が握られている。
「お前が目覚める前に、俺は蘇ったんだ。なぜお前がゴミ箱に入っていたのかは分からないが、そんなことはどうでもいい。これは神様が与えてくれたチャンスなのだ」
 僕は震える口で何とか言葉を絞り出す。
「ゴミ箱に同じ種類のゴミは入らないはずだ。二人の人間が入れるわけがない」
「同じ種類? そいつは違うな。俺は死体、お前は瀕死だが生きていた。同じ種類のものではない」
 僕は空き缶と買ったばかりの炭酸のレモンジュースを思い浮かべる。自分で確かめたはずなのに完全に忘れていた。男は鉄の棒を強く握り締めている。
「これでお前の顔を完全に潰してしまえば、いくら未来でも助けることはできないだろう」
 男はベットの脇に立つ。僕と男の視線は重なり、鉄の棒の軌道ともぴたりと重なる。
「お前がゴミ箱に俺を捨てたおかげで助かったよ。この手で裁くことができるのだから」
 男は僕を見下ろし、鉄の棒を勢いよく振り下ろす。僕はその一撃でとても簡単に絶命する。男は僕が死んだのを知っているのに、何度も鉄の棒を振り下ろす。そう、二度と生き返られないくらい。
 こうして先ほどまで僕だった存在は、一瞬のうちにゴミへと変化した。
 僕は思う。あのときゴミ箱に捨ててしまったのは、記憶ではなかったのかもしれない。それはきっと僕の未来だったのだ。
 次に目を開けると、僕はいったいどこにいるのだろうか。僕はそれを考えて恐ろしくなる。自分が死んだことよりもそこへ行くのがとても恐ろしい。
 そして、僕の魂は限りなく世界の底へと落ちていく。本当に底のない世界へと落ちていく。
	

©Since 2004 Sasayamashin, inc.